先日、専攻科研究報告が終わりました。これで本科五年生から3年間の青木研での研究の半分以上が終わったことになります。ちょうどいい機会だと思うので、僕の研究とか学校生活について振り返ってみようと思います。
なぜ専攻科に入ったか
僕が専攻科に入ったのは「まだ就職したくなかった」ということ、かといって「大学に編入する学力がなかった」こと、それから「先生から学び取りたいことが多かった」からだと思う。
当時なんとなくプログラムが書けたのできっと就職するならソフトウェアハウスかIT系の企業しか無いと思っていた。世間一般的には高専生というとすごい技術を持っていたり、深い専門知識を持っているようなイメージがあると思うが、実情はそんなことはなくてある一人握りの人間が活躍するからそのようなイメージを持たれていると思う。高専生で情報系の学科に所属していたとしてもプログラムが嫌いだったり、書かないという人もいる。だからプログラムが少し得意だからといってそのまま会社に就職すれば欝になって死ぬか、地獄の研修で死ぬかのどちらかだと思っていた。それに学生にしかできないことがきっとあってそれができるチャンスを失ってしまうのが嫌だった。そんな訳で就職をすることは最初から頭になかった。
青木先生との関わりが始まったのはハイテク鬼ごっこの計画の時からであった。そのころ僕はTwitterを初めて、天才プログラマーとして認定されている高専生や高専カンファレンスで活躍する高専生というものを初めて知った。そこで僕も「なにかやり遂げ、インターネットの世界に名を成したい。」と始めたのがTechKidsでありハイテク鬼ごっこであった。結局一回実施した後やっていないのだが。その時に僕の背中を蹴っ飛ばしてくれたのが先生だった。先生の人柄に惚れ込んでしまった僕はどうにかして先生の研究室で研究したいと考えた。その末に僕は「大学の編入試験を受験して合格する自信はない。しかし学生で居たい。専攻科単願すれば必ず青木研に入れるだろう。」ということで研究室配属会議の直前に専攻科単願を決めた。このことはクラスや学科に大きな迷惑をかけた。無理を押し通すようなことになることは解っていたのだけど、これが僕に取って最善の策だった。すごく自己中心的な考え方だった。申し訳ありませんでした。
研究室での生活
そのようなごたごたの末に青木研究室に入った僕は、「研究では一番になろう」と決めた。それでしか周りの人を納得されられないと考えたからだった。アルバイトも終電で家に帰ったあとにできるものに決めた。5年生の時には学会にも二回行かせていただいて貴重な体験をすることができた。僕は研究発表がとても苦手であると知った。高専シンポジウムの発表などは青木先生にしてあんな発表は見たことがないと言わしめたほどであった。その後二回ほど学会発表を経験したが少しは成長したかなと思う。とにかく研究室にはやることが山ほどあって僕ができていることはその中のちょびっとでしか無いので残りの一年半で少しでも貢献出来たらと思う。
専攻科というところ
専攻科というところはとにかく人との関わりの輪が小さくなる。研究室、同学年、アルバイトぐらいの出会いしかない。去年の4月頃、先生にカタリバの大人カフェに連れて行ってもらった。その時感じたのは人に自分のことを話すことはとても気持ちがいいということだった。会場はホテルの会議室のようなところだったのだが、窓が曇って外が見えなくなるほどの熱気だった。このように輪を自ら広げていくこともいいと思うが、専攻科が良くないとは思っていない。小さい輪であるからこそ強い輪になると僕は思う。
休みグセ
専攻科に入って僕についてしまった悪いものは休みグセだと思う。深夜アルバイトをしていたことも理由の一つに入るのかもしれないが、講義に遅刻したり欠席してしまうようになった。直さねばならないと思う。
考え方
対して僕が先生から盗みとったのは仕事などの依頼に対する考え方。たとえできないかもしれなくとも失礼であっても誘いにはできるだけ早く良い返事をすること。そういう時にはこの人ならできると依頼者は考えているということなので落胆させる可能性があっても「自分の実力じゃ…」とか考えず、少しでも自分にプラスになるなら受けたほうがいいと思うようになった。今日、行く?にすぐ返事できるように。それは心構えと準備を日頃からしっかりしておきゃなきゃいけないって事にもなると思うけど。断ることもあるので僕はまだまだ。
これから
青木研での生活は後半戦に入ったがこれから更に忙しくなると思う。大学院へ行くことを考えているので勉強もしなくちゃいけない。やるべきことを見極めるということをしっかりできるようになろうと思う。